汗すごーくかいて、
燃焼実感した(;゜0゜)
びっくりの。「井岡弘樹さん 元WBC世界王者」と、奥さんえみさんからのプライベート指導。
おふたりによる、
ボクササイズ プライベートレッスン
受講させていただいて、汗びっしょり。
わざわざ、サロンまでいらしてくださった。
日頃なんにも運動していないヘナチョコのわたしでもできたよ。
心拍数も計測、温度管理も設定しながらの、ひねってパンチ、膝からくっしょんして右左。おかげで最小の運動で最大の効果=頭の中まで汗かいてしまいました。今夜爆睡できそう。
食事指導もえみさんがしてくださるの。プロは違うのだ。
えみさん
井岡さん
ほんとにありがとうございます。
今年はガリガリになる宣言したからね。笑。
えみさんスタイル抜群で可愛くてべっぴんさんなので指導していただきがいが。
井岡さんはものごしソフトでとてもボクシング世界王者には感じられない優しさ。丁寧に指導してくれました。
今日は、内田樹先生の道場で公開寺子屋でした。そこで拝聴した『陰陽を使った身体の使い方』のお話と、
『時間』についてのお話などがわたしの考えの範疇を超えていて難しくもあり、驚きと面白みとで、
あまりにも驚いたので、最初、前々から釈先生のお話を聞いて見たくて、この公開寺子屋にたどり着いたので、
釈先生にお会いするのを楽しみにしていました。なので、光岡先生のことは存じ上げずに参加したのですが、
光岡先生の陰陽とカタの所以などのお話にあまりにもびっくり状態になり、終了後に記念写真やお名刺交換に応じられていた釈先生にご挨拶させていただくことすら忘れてそのまま帰宅してしまいました。
お話を自分用に備忘録メモ
陰陽は右側が陽、左側が陰。前が陽、後ろが陰、これを使って、陽の側だけで、組み合うと、強く、陰の側で相手と対峙すると力が入らないという現象を見せてもらう。かつ、陰陽は、二足歩行が始まる前と後で、逆なるという法則が。
そこから、右手で字を書くという行為=がラテン語の意味=ライト=右=正しい=書く。左は、レフト=左=置く、残す。
それぞれの意味に関連性。4足歩行の時には、脊髄は自由だった。二足歩行になることで、首の可動域が減り、その代わりに、肺や首が自由になり言語を獲得する。四足歩行になると言葉を失う。
このような法則を使って、タイの武道には、あるカタをすると時間を遡ることができるカタがある。それによって、陰陽を4足の時代にタイムトラベルさせる技を見せてもらう。もう1つ。涅槃のカタ=仰向けに寝た後、右を下にお釈迦さんの涅槃の姿と同じ寝方をする。その後、うつ伏せになって、両手を胸のいちにして、起き上がると、身体能力が高くなるのを内田樹先生が実践される。
釈先生曰く、タイでお坊さんが袈裟を左の肩にかけているのは、右の肩を出すと、体は冷える冷やされ涼しくなる。右の肩に服を着ると体は温まる。を利用している。仏教では風は右肩から入って、左足から出てゆく。右は人間の未来、左は過去。人は過去に訊ねて決めている。
アーリーアダプターとらガードのこと。時間と文字は繋がっている。因果関係や矛盾について理解するということは文字と時間を理解しているということ。羌族=時間の概念がなかった。全ての宗教は時間の意識が遠くまであることにによって、倫理的に行動している。文字を作る=アナロジーの能力。リカージョン。
かぐや姫は月に帰りたくなかったけれど、死者から衣を着せられることによって過去と未来が消えて、苦が消え幸福感だけになり月へ帰っていった。文化と言葉はセットの存在=日本人だけが肩こりをする。外人は肩こりがないし、肩こりという言葉もない。在日が長い外人さん、言葉を習得しきったある日、肩こりになったというエピソード。
ぶどうの決まり手=ピンホールとは、英語が話しづらくなるポーズ。柔道の決まり手=日本語が話しづらくなる=言語を奪いことが勝利になるという意味。
<毎日面白いことが多すぎ>
<誰が悪いのかな>
昨日、toda さんがサロンへいらしてくださって、
医療やチャクラ、健康、それに心理的なことについてお話していると、(todaさんはそういうことにお詳しい)
http://kicodesu.jugem.jp/?eid=2033
健康チェックから、チャクラの開き具合、ストレスのあるなし、ガンの兆候、それにビタミンとミネラルの状態、トラウマ、嫉妬心、それに先祖の影響。について色々教えてくれました。
それによると、わたしはチャクラが1から7まであるうちの6まで開いていて(7は頭の上にあって、ここが開いていると霊能に長けている人が多いとか。)身体のパーツごとに調べてくださったら、小腸も大腸も、ビタミンも日常に支障がない程度に足りていて、先祖の影響が少なくて、ストレスがびっくりするくらいなくて、がんの抵抗力がおびただしくある体質で、ちょっと肝臓が疲れているのと、喉の器官が少し弱っている状態。ほとんどの部分の健康レベルがあまりに高いので初回サービスか何かで器械が胡麻でも剃っているのかと思ったほど=健康面は、瑕瑾もないほどのものではないが上々の部類だと。そして少し個性的な存在。『自分のこと』と感じる範疇が人によって違う。自分のことが完全に自分だけの人もいるし、自分とその家族が自分のことの範疇の人もいる。
わたしの場合、広範囲で自然とかそういうものも自分のことの範囲に感じる傾向が。
そういうことを教えてもらっている時に、思い出した話があります。
『かっこちゃん』という人の映画。
この映画はノンフィクション映画。、『宮ぷー』という、かっこちゃんのお友達の男性が、全身麻痺の寝たきりになり、四肢全部が動かない、表情もない。植物人間に。
看護をかっこちゃんがするのですが最後は宮ぷーが言葉と取り戻し、たどたどしいながらも車椅子生活ながらも毎日を取り戻せるようになったというドキュメント映画。
エンディングに『かっこちゃんが語った言葉』がシンクロしました。
『わたしがこの映画を取ろうと思った理由。それは、宮ぷーが、寝たきりの植物人間になり、どこも動きがなくなったとき、お医者さんはもう会話もできないし、脳死になっている。と言いました。でも、わたしにはわかったんです。『宮ぷーには聞こえている。でも卵の中にいるように、手も足も目も口も動かないので、返事ができないだけだと』だから、毎日聞こえていると知っていたので、全く動かない宮ぷーに話しかけました。そのせいで、宮ぷーがわずかに目で合図を送っていることに気づいたんです。で、同じように世の中には植物人間になってしまって、もう脳も眠ってしまっていると思われて、見捨てられてしまっている寝たきりの人がたくさんいて、同じように宮ぷーと一緒のことをすれば、回復するのに誰もわかってあげる人がいないからずっと回復しないで放置されて卵の中にいるまんまの人がいるはず。
で、そういうのは誰が悪いんだろうって考えたんです。
治さない看護婦さんやお医者さんが悪いのかな?
いや、一生懸命している看護婦さんもお医者さんも悪くないなーって。思いました。
じゃ、家族が悪いのかな?
いやいや、献身的に看病してて、家族は悪くない。
あ、そうか!これ、わたしが悪かったんだって気づきました。わたし知っていた。知っているのに、いままで知らせてあげなかった、だからわたしが悪かったんだ。
知っていることを、知らせない人が悪いんだ。
そう思ったので、この映画を作りました。」と。
正しいと思う。知っていることを伝える努力は絶対した方がいい。
そんな話題が尽きない午後でした。
追記:チャクラが1から6まで開いているって言われて、人間があけっぴろげなのかと、もうちょっとおしとやかにならないといけないわと思っていたら、そういう意味ではないみたい。