<なかなかない体験をした>
今日oさんがお友達を連れてサロンへ来られました。
お買い物が終わって。お茶を入れてoさんと初めましてのtさんとほっこりティータイム。(のはずが)
tさんが『今日oさんが待ち合わせしたから久しぶりに大阪駅に勇気を出して行ったわ』
きこ『大阪駅に行くの勇気いるのですか( ´ ▽ ` )人が多いですものね(混んでいる場所がお嫌いなのかなぁ)』
tさん『人が多いのはいいのよ。人じゃないのがたくさんいるから嫌なの。わたし』そういうと、o さんの方を向いて、
tさんは『ね、話してたよねわたし見えるって』
きこ『見える?』
oさん『tさん霊感あるんです』
きこ『(*⁰▿⁰*)ホントニ?!』。。。『見えるのですか?』
tさん『うん。わたしね見えるの見たくないのに幽霊見えてしまうのよ(ため息)』
きこ(信じられないので→)『幽霊って本当にいるのですか?』
tさん『大阪駅ね、いるよ人が多い場所が好きみたい。よくいるの。歩いているの』
きこ『歩いてるって?見えている普通の人と幽霊の見分けもつくのですか?どうやって』
tさん「見分けつくわよ普通の人はね、歩いているでしょ、でも幽霊は歩いていないのスーーって移動しているから全然違うからすぐわかるの。向こうから来て、すっーとすれ違うの」
きこ『こわいですこわいです!!@!!!』
tさん『でもかまったらだめ。気づいてくれる人を探しているから、知らないふりしないとだめだって、直感だけどそう思うのわたし』
tさん『ある時からね。そうなったの10年前にね、ほにゃららっていう病院へ入院したのね、その日、わたし京橋で、お酒飲んでいて、突然ひどい下血して救急で運ばれてたのがその病院でね、そこで入院している時に、ある幽霊が訪ねてきたの』
きこ『!!!それで!!?』
と、そこから怒涛のエピソードを聞きました。
彼女は、それ以来、
幽霊が見えるようになったそう。
それ以来、幽霊がいると彼女は見たくないのに見えてしまうのだそうです。
わたしは全く感じない見えないので、どんな風に見えるのかとか、どんなのか事細かく質問ぜめに。
彼女は、10年ほど前、先ほどの状況で、病院へ救急車で運ばれることに。
入院した初日、
それは訪ねて来たそうです。
夜、下血もひどかった彼女は、運ばれたと同時に緊急入院となり、
とても痛くて、辛い状態。たまたま、個室に宿泊していました。
すると、深夜、彼女の首を絞める人が。
tさん曰く、ちゃんと指が首を絞めている感じがあるらしいのです。
目をさますと、男性が目の前にいて、自分の首を絞めている。でも生きている人ではないことは、わかったそうです。
あまりのショックに悲鳴をあげて、その時は気絶寸前だったとか。
その夜、以降、彼女は、病院には多種多様な幽霊が、見えるように。
首は絞められる、シーツは剥がされる、足首は握られる。
入院中、の非快適な状況といったら、ひどかったらしくて。
こわいというより、あまりにひどくて、彼女は煩わしてくたまらなかったと言っていました。
退院後も、
人混みに出る時には大抵、見えるらしくて、それから10年、どうして自分はこんなことになったんだろうと、
落ち込んじゃうわよ。とおっしゃっていました。
そして、数年前、彼女は、別の病気で、また、同じ病院に入院することに。
彼女は、怖いので、今度は絶対に大部屋、他の人がいる部屋にしてほしいと懇願したらしいのですが、
空きがなく、個室に。
彼女はそれだけはガンとして拒みたかったので、正直に、看護婦さんに告白したんですって。
『個室だけは絶対嫌です。お金の問題ではなくて、幽霊が出て来て、毎晩首を絞められたりするから絶対に嫌です』と。
tさん曰く、『でもその看護婦さんは見えない人だったから、笑われたの。ちょっとでも感じる看護婦さんだったら、よかったのに、その人は感じない人だったみたいで、変人を見るみたいに、笑われたんですよね。』
結局、入院中の半分は個室、後日願いが叶って、大部屋へ移動したらしいのですが、
謙虚大部屋にいるときも、幽霊はあちこちで見たそうです。
スリッパの音がするのですが、普通の人の音と幽霊の音が違うのは彼女にははっきりわかるらしくて、
当時、自分の体験が理解できなかった、彼女は怖い以上に確かめたくて、深夜2時3時の病院の廊下に出て、
実際に自分で確かめるために、廊下に出てみに言ったこともあるらしいです。すると、やっぱりいたのだとか。
2回目の入院の時は、1回目の時と同じくらい怖かったらしいのですが、怖い以上に、毎夜毎夜、
煩わしくて、寝不足で、痛みが我慢できないくらいひどい状況なのに、首を絞めにくる幽霊が、
我慢ならないくらい嫌だったので、
大きな声で、幽霊に話しかけたそうです。
『あなたの気持ちがわからないわけではないの、でもね、わたし、ほんとうに、痛くて、辛いの、だから、
お願いだから、やめてほしい。眠れないし、痛いし、もう来ないでほしいの、わかる?』と、
毎晩、大声で、説得したんですって、
すると、
何日かして、幽霊はぱったり現れないようになったらしいのです。
それから、
ひどい金縛りや、首を絞めにくる幽霊は来なくなって、ほんとうによかった。と
きこ『見たこともないし、感じたこともないですわたし』
ホームパーティでした。@神戸英国サロン
お料理メニュー
🌻イカとタコ、セロリのレモンマリネ
🌻チキンと野菜のクスクスサラダ
🌻グアンチャーレのブルスケッタ
🌻コーンと玉ねぎのスープ
🌻スペアリブの香草焼き
🌻天然沖メバルのトマトブイヤベーススープ
🌻ナスとモッツァレラチーズのグランタン
🌻かぼちゃのオムレツ
🌻エビとスパイシー炒め
🌻パクチーサラダと山芋の蓮根のジェノベーゼ
🌻クランベリークリームチーズディップ
🌻カプレーゼと枝豆
🌻仙霊茶を使ったほうじ茶とチョコレートのババロアと濃厚チーズケーキ。
🌻マルケ料理のオリーブの実のフリット
「チーズを日本の文化にしたい」月にたった1日の営業日。オリジナルにこだわる38歳千葉の古民家でひとり黙々と…
千葉県南部の山深い場所に位置する大多喜町。山林に囲まれたのどかなこの地に、月に一度国内外から多くの人々が押し寄せる。お目当てはチーズ工房【千】sen。香り豊かな深みのあるチーズが、食べた者を虜にすると、今大評判となっている。そんな魅惑のチーズを作り出すのは、チーズ職人・柴田千代(38)、その人だ。
「ゴーダも、カマンベールも、ブルーチーズも、ヨーロッパに本家本元がいるじゃないですか。それっぽく作らないと高い評価が得られないということは、いつまでも本場の後追いですよね。その市場からは降りて、自分がカテゴリーを作っちゃおうと思ったんです」そう語る彼女は、独自の乳酸菌と酵母の配合でオリジナルの香りと風味を追求し続け、2017年には日本チーズ界の最高峰「第11回ALL JAPANナチュラルチーズコンテスト」で、最高となる農林水産大臣賞を受賞。並々ならぬ努力と行動力により、一大旋風を巻き起こしてきた。
柴田は小学2年生の時にエールフランスの整備士である父親に連れられ、フランスに1ヶ月滞在。そこで、現地のチーズに魅了されたと言う。一時期は料理人を目指していたが、高校時代に食品添加物や発がん性物質、環境ホルモンなどの言葉が世に溢れ返っていたことから、「食」について深く考える様になる。そこで柴田が目をつけたのが発酵食品だった。昔から食べられているもので、毎日適量を食べ続けても体に負担なく、栄養価の高い物は何かを調べた結果、その第1位がチーズだったため、迷うことなくチーズ職人になることを決めたと言う。
「最終的に、チーズを日本の文化に変えていきたい」そんな大志を抱く彼女がこれから目指すものとは一体何なのか?今や押しも押されもせぬ日本を代表するチーズ職人の日常やフランスでのチーズ修行などに密着し、彼女が描く未来を垣間見る。
のむらくんからクリームどら焼きをいただきました。
箱いっぱいあるので、たべにいらっしゃいませんか^_^。
電話かメッセージしてね夕方までサロンでごそごそしています。
ほんとは、ジョージさんから鹿児島のさつま揚げとかよしこさんからパンチェッタもいただいたので冷蔵庫にあるのだけどこちらはあと45分くらいで消滅しそうです。ぱくぱく。
ただし、いただいて、要冷蔵だったことに気づかず丸一日(冷房入りの)お部屋にクリームどら焼き置き忘れていました。が‼昨日1つ食べたらぜんぜん大丈夫(あくまでも個人の感想)
そんなちょっとスリルもはらんだクリームどら焼きですが、箱いっぱいあるし、賞味期限もあるので。。サロンにお寄りくださーい。
よく考えてほしい。 きみが何かを買うとき、 お金で買っているんじゃないってことを。 そのお金を得るために費やした時間で、買っているんだよ。 ・ 過ぎた時間とは、 きみの人生だ。 過ぎ去ったら取り返しがつかない。 だから、大切にしないといけないんだよ、 人生という時間を。 ・・・ なかでも子ども時代はもっとも幸福な時期だ。 大人は子どもをせかさないてほしい。 子どもは遊んで、遊んで、遊んで、 幸せにならないといけない。 知識、知識、知識、情報、情報、情報、 と急いで与えないでほしい。 ・ 子どもはゆっくり育つべきなんだ。 いまは物をたくさん作らないといけないから、 経済的に価値ある人材を作ろうとしている。 はやく稼げるようになる勉強ばかりさせて、 子ども時代を台無しにしている。 そして、8歳や9歳で小さい大人のような子どもを期待している。 ・ しかし、子どものときをたっぷり生きてこそ、 知恵と人格のある大人になれるんだ。 ・ ビジネスが人生で もっとも大事なものだと思うなら、 わたしは何もいうことはない。 ・ わたしがもっとも大事だと思うのは、 命と幸せなんだ。 だって奇跡なんだよ、 生きているということは。 ・ 何よりも価値があり、 短く、二度と戻ってこない。 だから、この世にいる間に できるだけ幸せに暮らすことを 心がけるべきなんだ。 ・ 死んだら楽園にいくという 宗教があるけれど、 楽園はこの世にあるべきなんだ。 楽園の鍵は、 自分の心に、自分の意志にある。 ほんとうらしいことに、 惑わされてはいけない ======== 「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」汐文社
なじみの俵屋旅館のお部屋とってくれました。
憩いのひとときを和魂洋才サロンメンバーで行ってきました。
俵屋さんいまも一見さんおことわりを守り続けている京都のおやど。
俵屋、柊や、炭屋。宿巡りがお好きならば一度はもてなしされたい京都の宿。(じつは一見さんでも予約をとる方法がないわけではないです^_^)
七夕のお飾りをみせていただきながら、祇園祭も楽しませていただきました。 毎年誘ってくれるkeikoさんとは
25年以上の仲。
どこへ旅行しても食事に出かけても配慮をわすれない。何年か前にkeikoさんとプラハ旅行へも行ったしこれまでいろんなことがあったけれど
どこであっても慈愛のひと。
友だちに優しいは普通のひとだよ。
keikoさんはおみせのひとにも、電車ですれ違ったひとにも優しいの。
飛行機のCAさんとかね。
ビジネスクラス搭乗してCAさんへの敬意をこめた言葉遣いと配慮が素敵なの。みんなのことを考えている。
俵屋さんでは下足番のおじさまに対してとか。25年ずっと。
そうゆうなれば「歳寒三友」。
そんな彼女とサロン会のお友だち6名で 今年もゆっくりさせていただきました。
俵屋滞在のアップはまた後日で。
このわらびもちがでると、ここへ帰ってきたと感じます。
お玄関の上り口は
祇園さんの飾り。
滞在と京都巡りはまた
のちほど