apart 離れて・別々に・粉々に
Apart from cultural differences, language problems are barriers.
文化の違いだけでなく、言葉の問題も障害です。
お誘いいただき、ちょっと時間がタイトだったのですが、
こんな貴重な経験はそうないので、
ぱたぱたスケジュール調整して、
観せていただくことに。
とても良かったです!
衣装や、しぐさ。どれも雅で。
チケットを手配してくださった素敵な足長お兄様に感謝です。
お誘いいただいて、
息子と参加させていただきました。
松榮堂の畑様は博識な方で、
いにしえの歴史にまつわるエピソード。
メモをとるのに必死に。
キリストが誕生したときに、それぞれの賢者は、神の誕生にふさわしい
お祝いの貢物として、
オリバナム、ミルラ、黄金を手にしていました。
それはつまり、この3つが宝物だったから。
香りは厄除けの薬玉に使われたり、
端午の節句の菖蒲など、
古来から切ってもきれない存在。
日頃、風邪をひいてしまったり、
頭痛がすると、アロマオイルの力を借りるのですが、
日本の香道がこんなも効能多いのだと
あらためておしえていただき、
たいへん勉強になりました。
生活に香道の知恵とゆうおおきな潤いを
加えていたいたことに感謝。
こちらは、キャラ。
たいへん貴重なお品。
匂い袋を制作いたしました。
お教室のあとの駅までの道すがらも町屋通りになっています。ら
懐かしく雰囲気のお菓子屋さんや、お米やさんが並んでいます。
古い町屋が残っているのはよいですね。
深草の駅前の、
喫茶店「コロラド」
昔のまま、ありました。
懐かしさで思わず写真を撮ってしまいました。
一駅となりの伏見稲荷大社さんへお参りすることに。
スズメのお店。まだありました。
お稲荷様に、久しぶりのお参りです。
今日幸せと、日頃の毎日が楽しく過ごせていることのお礼と、
息子と源五郎丸の健康、今年一年もよろしくお願いしますと手を合わせて参りました。
香道、もっと学んでみたくなりました。
きっかけをくださった御縁に感謝しています。
<アンティークのカードケースをプレゼントにしたいとおっしゃられたので、ラッピングをいたしました>
お祝いごと、お誕生日、開業祝い。。
さまざまな心のバトンのお手伝いができて、幸せなひと時です。
<プレゼントラッピングの手順>
形も、サイズもさまざまななうえにそもそもケースもございません。
毎回がケースバイケース。
その1まず、
ケースの見繕いいからスタート。
資材やさんへゆくのが一番の近道です。このごろは、細かいピッチの縦横サイズが豊富に揃っているので
大変重宝しています。
今回は、 日頃からストックしていたケースを並べてみるといくつかサイズのよいものが見つかりました。
西光亭のビスケットボックスが、サイズもぴったり。
今回は、こちらを使うことにきめました。
まず、外箱の表側<西光亭のイラストと、底の製造シールをカバーします>と底を
ラッピングペーパーで、包み込みます。採寸を正確にし、カット。
そこに、メンディングテープを正確に同じサイズで張り付けます。
できました。
カードケースとボックスの、厚みの差の分だけ
埋めるために箱の底にクッション材をカットして敷き詰めます。
そのうえに、
梱包資材を乗せてみて、微調整。
すきまにも、クッションをきっちりと埋め込みます。輸送時に動かないようにきっちり詰めるのは破損リスクを少なくするコツです。
プレゼントボックスが完成しました。次は、
カードケースを、薄いペーパーで、包みます。
薄いペーパーのサイズをカードケースのサイズに見合うように計測して丁寧にカットし、包装します。
留めの場所にオリジナルシールを貼ります。
あと少し。ボックスへ入れて、隙間に緩衝材を敷き詰めました。
ラッピングします。
いつも数種類用意してあるラッピングペーパーから、今回は赤いペーパーをチョイスしました。。
赤に映えるゴールドの太めのリボンをかけます。
さいごにお花を添えて。
少し、レトロな雰囲気がしたので、インポートのリボンをつけ加えてみました。
完成です。
プレゼントラッピングはなんども試作を繰り返してしまいますが、それも楽しい作業です。
そのつど違うパターンをいちばん綺麗で、オープンするときの、ドキドキを演出できるラッピングに。
試行錯誤を繰り返し続けています。
相手の方に喜んでいただけるように、どこを工夫したらよいかな。
試してはやり直ししてを繰り返すので随分時間をかけてしまいますが、
必ず最後は、これならバッチリと全方向から自己満足500パーセントの状態でお渡ししています。
この後、オリジナルの、サーティフィケイト『鑑定鑑別証』をお付けして、
お渡し完了です。
気がつくと、息子のお迎え時間。
慌てて、上着を羽織って行きました。
水曜は、息子が小学校からの「スキー合宿」へ旅立ったので、
随分久しぶりに、自由ナイトでした。
どこへ出かけよう。。。
夙川の「トリニティ」さんを訪問しました。
たまたま、忘れもの調理器具のメッセージが届いたゆきがかりやりで、
シェフ太郎くんと一緒。
トリニティのシェフ野田氏も交えて、
ゆっくり夕ご飯を楽しませていただき、
帰宅しました。
帰宅後は、
もう何十回も観ている、
お気に入りの映画「フェノミナン」を鑑賞いたしました。
毎回毎回、ポロポロ泣いてしまうわたし。
今、エンドロールなのですが、
今夜も涙腺が崩壊してしまいました。
観終わったいまから、もういちど2回目を観たいほど好きな映画です。
この映画から伝わる
不変の、人と人の思いやり、友情。
素朴で純粋な心。
無償の愛
の姿に心が洗われずにおれません。
そして
トラボルタと彼女の愛の行方
ストーリーは、
なにもないアメリカの片田舎で起こる1つの出来事。
38歳の誕生日を迎えたトラボルタのジョージは正直者で素直な心を持つ
村の人々からも愛される独身の男性。農業と車の整備、そして
生き物、隣人全てに分け隔てない優しさを持つ穏やかな性格。
マンガ日本昔話の、
「あるところに正直者の青年がおった」のアメリカバージョンです。
親友のネイトは
「ダイアナロス一筋なのに、脈なし」な同じく独身。
片田舎の街には、いろんな人がいます。
愉快なひと、自分の意見を言わないひと、優しいひと、
狭量なひと、ワガママ、
これらは、月日を経てもどの時代であって、現代の誰のまわりにもある人間関係。
そんな色々な人間模様のなか、
ジョージの素直で駆け引きのないおだやかな、ときに哲学的な性格が際立っています。
そんなジョージが
いろいろなことに目覚めてゆき、
ただ、ただ素朴にまわりの友人の役にたつ、おもいつきや、
惜しげなく一緒にシェアしようとする姿に、
時代を超えても普遍の
思いやりの心がひしひし伝わってきます。
保守的な村人たちのために、
こうしたらいいね、あれがこうしたらよいね。と試行錯誤する姿。
それでも、受け入れられず、
逆に理解もされないで、
のけものにされるジョージ。
それでも、おだやかな心を持つジョージは悲しみながらも、
みんなの役にたつための研究を続けます。
ジョージのセリフが
哲学的で、
いくつも胸にとどきました。
かれの、主治医の言葉も印象的です。
村人たちが、かれのことを、
助けてもらったり、誕生日には友達としてパーティしていたのに、
まるで化け物のように避け始めたとき、
主治医だけが彼の味方をします、
その台詞が『ジャックを悪く言えば枕を高くして寝れるのか?』
わたし自身の生活には意地悪な人はいませんが、
世の中には仲良くしていたのに、雲行きが怪しくなるや離れてしまうような
陰口ばかりのさもしい人もいます。
また、それを、見て見ぬ振りしたり、なにもしないことなかれ派の人も。
こういう時に、声をだして味方してくれる友達、や、人間関係の
大切さを感じて、
わたし自身も、誰かが泣いていたら、
手をだし、陰口があれば、
体裁よく、だまって、なにもいわないで、敵をつくらない賢さなど、もたないで、
心をもって、わたしはそうは思わないと、発言できる存在でありたいと
思いました。
心からの言葉が印象深いです。 ジョージは誰のことも ジョージは死んでしまうのです。涙。 つれなかった、レイスと心が通ったあとの会話。
「僕が死ぬまでの間、愛してくれる?」
「いいえ、」
「(あなたを愛するのは)わたしが死ぬまでよ」
このセリフがこの映画のはなかで、
一番好きです。
いえ、全てのは映画のなかでかも。
余談ですが、
ジョントラボルタのはまり役といえば、
「ソードフィッシュ」や「ダブルフェイス」それに、
「タランティーノ監督作品モノ」ではないでしょうか。
お友達の生姜農家くん曰く、トラボルタを見つけ出してワルのはまり役に命を与えたのは
タランティーノ監督に間違いないと。
それでもこの
フェノミナンのジョージ役のトラボルタが
わたしは好きで好きで。
そこからおもうと、フェノミナンの素晴らしさの認知度が低すぎる気がして。個人的に。