先日、京都のパーティーでご一緒くださった方から、
雑誌のpenを読んでいて、
備忘録
テーマは『コロナの時代にデザインができること』
今日は、
朝から源五郎丸が、腕が上がらないから病院へ行く。というので一緒に。
<2月25日ふんわりお茶会>遊びにいらしてくださいね٩( 'ω' )و
https://www.facebook.com/events/708102009852501
今日は、源五郎丸が、腕が上がらないから病院へ行く。というので一緒に。
様子を聞くと『四十肩』だな〜と思ったので、接骨院かと思っていたら、
『いやまず原因と何の症状かの確認のために病院だろう』
とのたまわれるので東神戸病院へ。 診察→レントゲン→整形外科担当の藤井剛先生『四十肩でしょう』と。
先生『できるだけ痛いだろうけれど、さかんに動かしてください。
なんなら痛み止めを処方しますからそれ飲んで、 できるだけ動かしてね。
動かし方はこうです。薬より注射がよければ注射してあげるからどんどん動かしてね』と指導が。
整形外科では、施術はないので、東神戸病院を出て、
その足で 六甲道の施術院へ。(信用の置ける知人から紹介iただきましたもつべきものはの感謝)
初診ということで、色々アンケートや身体測定の後、 骨盤の歪みからくる、肩甲骨周りの四十肩でしょう。
と施術していただく。
『ゆらし』という施術で、ソフトにゆらしながら背骨や骨盤を調整してもらいました。
触らず安静にを指導いただく。炎症が終わってから可動域を増やしたり動かしたりしたほうがいいと。
この日の一番のびっくりは、施術サロンのビルを出て、
すぐ隣の『えびす大黒』の太巻きがたいそう美味だったこと。リピします。
帰宅後、読書したので取りまとめてみる。 『ドラッガーと会計の話をしよう』
『利益は存在しない」』
ここでは会計損益が1年単位で数字を追うことを無駄だし、意味がないと一刀両断。
本は、イタリアンレストランを経営難に陥らせた町田氏が、
偶然オーバーブッキングで座った飛行機のファーストクラスの席の隣で 知り合った、
初老の男から、経営の利益について一夜限りの授業を聞いたエピソードという形。
ストーリー性があって、読み始めると2時間もあれば読了できる本でした。
簡単に箇条書きにまとめてみると。
●今日の利益のために、明日を犠牲にするのは会社の経営に背いている。
●利益は存在しない。存在するのはコストだけ。
●儲けとは何か=稼いだ現金のこと=キャッシュフロー=この考えは2000年頃から一般化。キーワードはキャッシュフロー
●町田氏のコスト計算パスタ1000円ー材料コスト200円ー調理コスト300円=500円利益 これでレストランを潰すことに
●2種類の松竹梅を用意して、一番売れるのは竹=人は安すぎず、高すぎずをチョイスする人が一番多い。 松は店の顔。竹は最も売れる品物、梅はコスパ。
●1割の顧客が全体の80パーセントの売り上げをあげる=わずかな顧客と、わずかな商品と、わずかな営業部員が 全体の80パーセントの売り上げに貢献している。
●だから、飲食店であればメニューに戦略を入れないといけない。
●経営とは人の細胞が入れ替わるように、ラインナップを変えてゆくことが大事。
●リスト化する→1、売れているもの、2、来月のおすすめ、3、開発中、4、スポット品、5、特別価格品、6今月までの終了品 ●コストを理解しない会社は、ただのままごと。コストは売り上げのために使う。
●稼ぐということは目的ではない。人生の前提なのだ。
●コストの90パーセントは無駄に使われるということの意味を理解する。
だいたい書いてあったことを要約してみた。こんな感じ。
きっと、会計のことなので、もっと深いこと、大事なことが書いているのだろうけど、
損益や会計に明るくないので このあたりまでしか理解していないのかもしれないれど。
書き留めてみた。
あまり、こういう書物を読まないので、理解度低いし、 読んでいても、難しい部分は、前頭葉がテレポートしてる。
そこで、全く別件の思い出が蘇った。
去年、コロナ真っ最中『レオン』にはまった私。 あのレオンです。
マチルダと、ジャンレノの切なくて胸が張り裂けそうなストーリー。
はまってしまって、2回3回と観ては涙していたタイミングで某コンサル女性よりランチのお誘いが届いた。
二人で、フレンチを食べに行った時のこと。
彼女が私を誘った理由は、私のサロンの経営をコンサルして差し上げましょうという話に持って行くのが目的だった模様。
今、コロナで大変でしょう。からの。こちらをみる目が、 獲物を見る目つきな気がしたのは気のせいかもしれない。
そのようなことはおかまいなしにというかかまう必要もないのでもっぱら『レオン』について。
マチルダの魅力についての話題をふるも彼女はレオンには全く関心がないご様子。
なんとも噛み合わない空気のままのランチ。
レオンの魅力とあらすじをひととおり語りきったら、
彼女はこう言った。
『私にレオンの話をした狙いはなに?』と。
頬に手をついてわたしが『愛についてよ』というと、
彼女は、首を振って 『なによりも大事なのは『損益分岐点よ』 と。
すごいじゃタピオカの次は損益分岐点がブレイクするのかもしれないわね。
ということでランチは終了した。
一番面白かったこと書いた〜ブログに笑
(ブログなので実名はカット笑)
かつよさんと朋由さんと3人で<自分を祝うお誕生会>
長崎の不思議な喫茶店のお話になり、
朋由さん
『聞いたお話だけど、呼ばれた人しか行けない喫茶店があるんだって、そこに(朋由さんのお友達が)行った時、
たくさん並んでいて、満席で入れないと言われたので、帰ろうと思ったら、ちょうど、席が1つ空いたのでどうぞと』
どこに座ったらいいですか?と聞くと、
『名前の書いているところですよ』と
見ると、
その人の名前が席に書いてあったのだとか。
不思議やね超能力かなぁと。話題になっていたら、
そこへ、
カフェの店長が。
『あれマジックだと思うよ。』
『超能力じゃないの?』
『だってね、その喫茶店行くと、まず注文を聞くんだよ、で、
全員の注文を聞いて、だいたい1時間くらいお料理作ってるの待つんだよね、毎回。』
『超能力あったら、注文先に作っとけって思わんか』
『んで、たまにハンバーグ定食頼んだら、今日2つしかないから、他のにしてとかいうのね。
仕入れおくよね(超能力)あったら普通。』
最近で一番笑った。
大好きな四万十 地栗きんとんの
よつばの申し込み時間が、気づいたら
過ぎてて。
年に数回しか掲載されないチャンスを逃してしまった。。。。
火曜の出来事なんだけど、めずらしくまだ落ち込んでる。。。
お写真はネットから拝借。
<自分用備忘録>すごいアマゾンレビュー見つけました。本自体よりもレビューがすごいので貼り付けました。
以下貼り付け文章
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(YAP+因子)の縄文人は日本人/南北アメリカ大陸のネイティヴ・インディアンの祖先だが、今の韓国・朝鮮人の祖先ではない。環太平洋における古代縄文人の活躍はすごいね!
2015年10月15日
形式: 単行本Amazonで購入
日本人のルーツが縄文人であることは間違いない。しかし、縄文人が日本列島に自然発生したわけではなく、何処からかなんらかの方法で移動してきたわけであるが、アフリカを出た現生人類の一部が縄文人の祖先であるのは間違いない。
アメリカの形質人類学誌(American Journal of Physical Anthropology)に、1977年に掲載された「Y染色体の印を持つ者とベーリング海峡からの分散(Y Chromosome Markers and Trans-Bering StraitDispersals)」という論文によれば、男系子孫にのみ伝わっていくY染色体DNAの情報から人種のルーツの祖先を正確に辿れる手法において、Alu配列と呼ばれる約300個の特定の塩基配列(YAP+因子)を持つのはDグループとEグループのみであり、DグループとEグループはおよそ5万年前に分化した近縁グループである。
そのうち、Dグループが相当な頻度で存在するのは、日本とチベット、インド洋のアンダマン諸島のみで(日本はD2のみ 40〜50%、アイヌと沖縄ではさらに頻度が高く、チベットはD1 16% +D2 33%)、その他の地域では D1、D2共非常に少ない。 他方、Eグループが相当な頻度で存在するのはアフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてのみで、何と近くの中国、韓国の人々にはDグループとEグループがほとんど全く見られない遺伝情報である。
D2系統の人々はどこから移動してきたのだろうか? チベットには、日本と同様にD系統が約半分存在するが、D系統の亜型の D1と D2が混じったものである。日本が D2系統のみであり、華南やインドシナ半島に D1系統がわずかに存在することから、チベット方面から華北・朝鮮半島を通って日本にやって来たと考えられる。 D系統の祖型であるD* は、ベンガル湾東部のアンダマン諸島に、部落ごとに集中して存在している。さらに、D系統 と E系統が分岐する前の、DE*(DE祖型)は、アフリカのナイジェリアで5例見つかったと報告されているので、このあたりが日本人の先住民である縄文人のルーツであると考えられ、このために、現在沖縄やアイヌ人にも残っている日本古来のアニミズム(精霊信仰)は、アフリカが発祥であると考えられる。
およそ5万年前に分化したDグループが3万年〜1万2千年前に日本列島にやってくるまでのルートには、南回りの海を渡ってきた南ルートと、ユーラシア大陸の陸を渡ってきた北ルートがあり、北ルートのDグループは中国大陸の民族動乱により東アジア地域全体に広く分布しているOグループに駆逐されて一部はチベット高地に追いやられ、他の大部分が日本海、朝鮮半島、樺太を経由して日本列島に到達し、南ルートのDグループはインド洋のアンダマン諸島、インドシナ半島、沖縄等を経由して主に西日本の日本列島に到達したと思われる。 北海道のアイヌは北ルートから来た人の可能性が強いので、南ルートの沖縄のY染色体と少し違った特殊なものである可能性はあるが、興味深いことは、東の果ての島国である日本では、アフリカを基点として南ルート、北ルートでやってきた(YAP+因子)のDグループが再び合流して縄文人になっていることである。
同じく、祖先を調べるのにミトコンドリアDNAで調べる手法がある。これは、子供(男子も女子も)は母親からのミトコンドリアDNAのみを受け継ぐもので、母親の祖先を調べるには有効な方法で、ちなみに、日本人の母親のルーツは、16人の母親で、トルコ、バイカル湖西部周辺、チベット、中国、台湾、東南アジアなどがいる。
さらに興味深いのは、南北アメリカ大陸のネイティブ・インディアンの男性にもY染色体DNAのYAP+が多く見られる顕で、これは結論から言えば、南北アメリカ大陸のネイティブ・インディアン出自やインカ帝国を築いたのは、古モンゴロイドの縄文人であるからである。恐らく、中米のマヤ帝国も古代縄文人が築いたのではないかと思われる。
南米アンデスから発見された2体のミイラのDNA鑑定を行ったところ、これらのミイラが成人T細胞白血病に関連する稀少なウイルスに感染している事が判明したが、このウイルスは、現在おもに南西日本とチリの一部の地域でのみ見つかるウイルスで、両地域の関係を強く示唆するものであった。
このウイルスが、1500年ほど前の物と思われるミイラから発見された事により、ウイルスが現代日本人の移動により感染したのではない事が明確となり、この研究が発表された権威ある「Nature Medicine」によると、ウイルスに感染した古モンゴロイドが、1万年以上前に南米に進出したと考えられている。
ところで今から約6300年前(放射性炭素年代測定)の縄文時代に、鹿児島の薩摩硫黄島「鬼界カルデラ」が大噴火し、爆発規模はフィリッピン・ピナツボ火山の10〜15倍。雲仙普賢岳のおよそ100倍と驚異的で、過去一万年の日本火山史の中では最大の噴火である。上空3万mの成層圏にまで達した大量の火山灰は、遠く、東北地方にまで飛散ほどで、南九州一帯は、60cm以上の厚さで埋め尽くされた。異彩を放つ黄色やオレンジ色の火山灰地層。これこそが「鬼界カルデラ」の大噴火がもたらした火山灰「アカホヤ」。 今、その分厚い地層の下から次々と遺跡が発掘されている。
そこからは日本列島の南で大発展を遂げながら忽然と消えた、幻の文化の姿が浮かび上がってきている。日本最古で最大級の定住集落が発掘されただけでなく、出土する遺物や遺構の多くが、それまでの縄文時代という概念を揺さぶるものだった。 海洋民の存在を感じさせる世界最古の舟作り工具、貝殻文様の土器。独特の燻製施設や大量の石の炉跡、最古の耳飾りや巨大な壺型土器などなど、不思議で謎に満ちた遺物遺構が続々と出てきた。 そこは鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森にある縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡の上野原遺跡(うえのはらいせき)である。
その大噴火雲が日本国中を覆い、作物がまったく採れなかった時期がある事が地層の研究が分かっており、古モンゴロイドの縄文人が黒潮に乗ったベーリング海峡ルートと、南太平洋ルートで南北アメリカ大陸に渡った事が最近の研究で分かっている。
この痕跡は、太平洋の孤島バヌアツや南米エクアドルからは次々と縄文土器と思われるものが発見されており、中でもバヌアツで発見された土器は青森で製作された正真正銘の縄文土器である事が確認されている。 エクアドルで発見された、アメリカ大陸最古に属するバルディビア土器は、その文様の形態が縄文土器そのものであると、スミソニアン協会のエバンス博士等は主張しており、ワシントンDCのスミソニアン博物館には、縄文土器とバルディビア土器を比較したコーナーがあり古代縄文人が太平洋をわたった可能性が指摘されている。
ところで、日本には神代文字やヒエログリフもあり、何より中国の歴史書「随書倭国伝」の中の倭人の風俗に、縄文字についての記述がある。 この縄文字は「随書倭国伝」にもあるように、古墳時代以前からあるのもで、沖縄においては戦前まで使われていたというから驚きである。 実は、この縄文字も縄文土器や巨石文化とともに、日本からアメリカ大陸に伝えられたとされ、インカ帝国でも縄文字(キープ)が使われていた。
縄文字の主な使用目的は双方とも、歴史の記録や手紙などに使用したのではなく、物品の種類や数を記録すると言う、いわば経理処理に使用されていた。 インカでは報集めはいたって楽だったらしく、キープ・カマヨックと呼ばれる地方の名士がキープによる住民台帳を保持していたらしい。
沖縄では島津藩による沖縄併合後の人頭税徴収などに、藁算は最大限利用され、キープと藁算の唯一の違いは、キープは縄の色までを含めて情報源とした事だが、使用目的はまったく同じといってよく、このように同じ使用目的を持つユニークな縄文字が、偶然2つの地域で別々に発生したとは非常に考えにくく、古代縄文人がアメリカ大陸に伝えたと考えられている。 また、日本独特の物と思われやすい綾取りや綱引きなども広く太平洋地域に分布している風習であり、古代縄文人と南北アメリカのネイティヴ・インディアンやインカ帝国の末裔のDNAの一致は何ら不思議なものではない。
世界最古の土器は1988年、青森県の大平山元遺跡で見つかった1万6500年前(縄文時代前)のもの、世界最古の漆製品は北海道南茅部町で発見された約9000年前(縄文時代)のもの、さらに、世界最古の貝塚も昭和25年に、日本の三浦半島で発見された1万年近く前(縄文時代早期前半)のもので、世界最古級の墓も、約2万年前の日本の大阪府藤井寺市のはさみ山古墳である。
環太平洋における古代縄文人の活躍はすごいね!!!
京都大学の崎谷満先生が分析したY染色体DNAの亜型分化によれば、人類はアフリカ固有のA・B型、そしてアフリカを出た現生人類は大きく分けて3つのグループ(CD・E、FR)に分けられ、なんとこの3つの系統が同じ地域に分布しているのは、日本列島だけで、世界的にも珍しいケースであるようです。 これは何を意味しているかといえば、日本の地理的条件が、ユーラシア大陸の東の端に位置し、現在のロシア、モンゴル、中国、韓国、東南アジアから容易に移動してくる事が出来、また東端の島国である事から、日本列島には様々な人種や文明・文化・習慣が素通りすることなく終着点となり、混在することが出来たという事、そして大陸のように大きな戦乱や、敗北した側の民族が絶滅に追いやられる事もなかったと考えられます。 また、温暖で海の幸、山の幸に恵まれ、島国であったため他国からの脅威も無かったことも幸いしたと考えられます。 そういう意味では、日本は民族だけではなく、世界の文明・文化の坩堝であるという、世界的にも珍しい国であるといえます。
イスラエルのアミシャーブ(失われたイスラエル十支族を探索し帰還を促す機関)が日本に注目しているのは、このYAP+の遺伝子を持つ男性が分布しているところはシルクロードに位置し、既に失われたイスラエル十支族の末裔がDNAや文化・習慣ともに一致し、見つかっているからだとしています。
しかしながら、彼らが日本に渡ってくる際には、必ず中国や朝鮮半島を渡ってきた筈ですが、何故に中国や朝鮮半島ではY染色体DNAのYAP+の痕跡がなくなってしまっているのでしょうか?
その理由は、Y染色体DNAは父から息子への男系でのみ遺伝子してゆくので、YAP+のグループは争いに敗れ、一族の男子は殺され、日本に逃れてきたのと、繁殖力がYAP+は弱いという事が考えられます。 今でも中国によるチベットやウィグル民族の浄化(チベットやウィグルの男子を片っ端から殺し、漢民族の男性を送り込み強制結婚させる)が行われています。 大陸では、四方を敵に囲まれているので、相手を威嚇するためにも、とことん残忍な手段を用い、負けた側の民族絶滅を図り、男子が徹底的に殺されたら、敗北した側の民族のY染色体DNAは無くなります。 裏を返していえば、それだけ徹底した虐殺が行われてきた地域である事を証明しているのかも知れません。
チベットだけでは無い、中国の侵略と弾圧日本に、Y染色体DNAのYAP+を持った男性が多いのは、YAP+を持っている人たちが支配者階級であった事を意味していると考えられ、日本の伝統文化、神道や天皇家の伝承などを見るかぎりにおいては、天皇家は失われたイスラエル十支族のエフライム族としてのイスラエル性が高いと言われている。
ところで、「九州王朝末裔」を名乗る松野連家「古系図」が掲載された尾池誠著「埋もれた古代氏族系図 : 新見の倭王系図の紹介」が、国立国会図書館と東京・世田谷の静嘉堂文庫の二カ所に所蔵され、「王の系図」と「書き込み」とで成り立っており、表題は「松野連姫氏」である。これは「姫氏の系図」であるがこの系図の中に「倭の五王」が登場する。
◎ 松野連家「古系図」
呉王・夫差(姫氏)→忌(渡来一族の初代首長)→順(委奴に移住して委奴王「前漢・宣帝に使節」)→景弓→阿岐→布怒之→玖賀→支致古→宇閉→阿米→熊鹿文(「漢委奴國王」金印)→厚鹿文→迮鹿文→宇也鹿子→謄→[倭の五王;讃→珍→済→興→武]→哲→満→牛慈(欽明天皇時に降伏して大王の座→夜須評督)→長提→廣石→津萬(松野連の姓を負う)→大田満呂→猪足→
中国の正史では晋書や梁書にも、「倭人自らいう、太伯の後(子孫)なり、と」と記録している。(「十八史略」に太伯は「周の文王の伯父」とあった) 周代の後半、東周時代(春秋戦国時代ともいう。紀元前771〜同256年)には中国各地に封ぜられた周王室の王や各地の豪族が独立し、多くの半独立国が建てられた。 現在知られている約200国のうち、約50国、すなわち4分の1ほどは姫(紀)氏の国だった。日本の縄文時代晩期から弥生時代にあたる。 春秋戦国時代をへてこれらの国はつぎつぎ淘汰され、負けた国の王やその一族は殺されたり奴隷にされたり、日本列島や朝鮮半島に新天地を求めてぞくぞく渡って来たらしい。 中国は倭のことを「東海姫氏国」と呼んでいた(釈日本紀など)という。 いろいろな、あちこちの姫氏がかなりの数渡来して、それぞれが日本列島のあちこちで国を建てたことを物語る話と思われる。 古事記では「木」、日本書紀では「紀」と表示される人々だ。 埼玉稲荷山古墳出土の鉄剣に刻まれた「記」もその可能性が高い。
夫差の呉国(姫氏)が滅んだ「紀元前473年」に渡来した時の初代首長が「忌」で、火の国(肥の国)山門郡(現在の福岡県八女市の南西)周辺に住むとあるが、このように古代中国の動乱で敗れた多くの人々が古代日本に渡来しており、これが日本人のY染色体DNA内にC系統(9%)・O系統(27%)・ O2a系統(1%)が構成する一因と思われる。
更に、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により京および畿内に住む1182氏を、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにし、氏名(うじな)の由来、分岐の様子などが編纂された古代氏族名鑑の『新撰姓氏録』によれば、天皇家から分かれた「皇別」335氏、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた「神別」404氏、秦・大蔵など渡来人系の「諸蕃」326氏が挙げられている。 諸蕃氏族は、さらに5分類され、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。 また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。
つまり、古代日本歴史において、応神天皇283年に中央アジアのカザフスタンにある『弓月国(クンユエ)』から弓月君(秦氏の祖)が127県の1万8670人を連れて渡来、中丸薫著「古代天皇家と日本正史」によれば古代天皇家簒奪による飛鳥〜奈良時代の百済・新羅系王朝の古代日本支配、AD 562任那滅亡・AD 660百済滅亡・AD 663白村江の敗戦・AD 668高句麗滅亡などに伴う膨大な任那・百済・高句麗の王族・貴族・庶民の渡来などの日本人口形態に大きく影響を及ぼす事態・事件発生があり、これらの渡来有力氏族子孫が『新撰姓氏録』に挙げられた京および畿内に住む1182氏であり、これら有力氏族含む多くの渡来移民が日本人のY染色体DNA構成に大きく影響を及ぼしているのは間違いなく、このことを考慮した日本人DNA分析をする必要がある。
弥生時代以降の大陸からの渡来人は、次の順になる。
BC 2〜3世紀;いわゆる弥生人、北九州に朝鮮・中国系の遺跡・遺物(O系統)
BC 1世紀;天皇家一族(エフライム族)(D系統)
AD 5世紀;倭の五王の時代に中国・朝鮮系、製鉄技術、鉄製農具、灌漑・土木(O系統)
AD 4〜6世紀;技術者集団→大和朝廷を強める
秦(はた)氏(=ユダヤ系・マナセ族)等が散発的に渡来し、原始キリスト教、養蚕・機織・
銅の鋳造・清酒・雅楽などの日本らしい文化を伝えた(D系統、O系統)
AD 7世紀後半:百済・高句麗等からの大量の亡命者、儒教・仏教・仏像伝来(O系統)
尚、国立遺伝学研究所と東京大学の共同チームは、アイヌ人や日本列島本土人の遺伝情報を解析した結果、遺伝子配列の違いから、縄文人の子孫と見られるアイヌ人と、弥生人の子孫とされる渡来人の混血は、7世紀に始まったと推定する研究結果を2015/08/24に発表したが、上記の朝鮮半島動乱での渡来人影響を裏付けている。
従って、上記の事態・事件を考慮すれば、日本人のY染色体DNA構成において、D系統(34%)・O2b1系統(18%)が縄文由来であり、C系統(9%:モンゴルに高い頻度で現れる)・O系統(27%)・ O2a系統(1%)は上記の中国大陸・朝鮮半島動乱などで渡来してきた人々由来のものと思われ、トータルでは、約52%がほぼ縄文由来と推定できるが、約48%は渡来系もしくは不明(縄文由来かもしれない)といった結論が正しいと思われる。
ところで、韓半島に伝わる最古の正史「三国史記・新羅本紀」によれば、新羅の第4代王昔脱解は倭種・倭人(日本人)=縄文人であり、新羅の建国当初は倭種・倭人が王位や大輔を占めるほど多大な役割を演じたばかりか、<倭・倭コンビ>がいなかったら、その後36人の新羅王が輩出する金王室もありえなかった。 さらに金王室36代王の姪と高麗の始祖王との間に生まれた子供の流れが8代目以降の高麗王を占め、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた王朝・国である高麗王朝にも流れ込んでいる。 DNA、出土する古墳や装飾品、人骨、日本、中国、朝鮮、高句麗等の各種記録から古代朝鮮半島、とくに半島南部は日本人種が住んでおり(古代朝鮮人の骨格や遺伝子は日本人と極めて近い)、現代の基準で言えば半島南部(全羅道・慶尚道)は日本人種のものであった。
しかし、現在の日本人と韓国・朝鮮人とは遺伝子上にも大きく隔たりがあり、朝鮮民族はモンゴル・中国系に近いものとなっており、古代朝鮮時代で発掘される人骨からわかる遺伝子とは大きく変質しているが、これは北方民族の朝鮮半島への度重なる侵攻や支配により、交配が繰り返され、遺伝子が入れ替わってしまったわけで、特に、AD 660百済滅亡・AD 663白村江の敗戦・AD 668高句麗滅亡により,百済・高句麗の王族・貴族・庶民の多くの難民を日本が受け入れたが、残った縄文人系男性は唐・新羅軍に殺され、女性は犯されて唐・新羅の子孫を残している。
そして、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた高麗王朝に引き継がれたが、モンゴルの「元」に攻められてかなりの縄文人系男性が殺され、「征服者は女性同伴ではなく、単身でやってきて半島女性と交わり子孫を残した」わけで、現在の韓国・朝鮮人の人種形成はやはり13世紀あたりのようです。 その後、高麗王朝を簒奪したAD 1392成立の蒙古・満州(女真人)系李氏朝鮮では、更に残っていた縄文人系男性が殺され、女性は犯されて、現在まで継続する蒙古・満州(女真人)系の韓国・朝鮮人種形成が決定した結果、Y染色体DNAパターンではモンゴルが源流のタイプC(14%)・K(8%)や北部シナ人が源流のタイプO(40%)が日本人よりも大きな頻度で存在し、新羅系縄文人の余韻である日本人特有のタイプD・O2b1が激減している。
しかし、「かなりの韓国人女性のミトコンドリアDNAは縄文人と相同」なので、征服者は女性同伴ではなく単身でやって来て半島人女性と交わり子孫を残した、つまり、モンゴルや北方シナの征服により「縄文人系女性を母」に、「モンゴルや北方シナの征服者を父」に持つ新たな混血民族が誕生したが、それが現在の蒙古・満州(女真人)系韓国・朝鮮人である。
従って、かなりの韓国・朝鮮人女性のミトコンドリアDNAは縄文人と相同であるが、肝心な(YAP+因子)の縄文人は日本人の祖先であるが、現在の蒙古・満州(女真人)系韓国・朝鮮人の祖先ではないので、結論として、本書の表紙「縄文人は日本人と韓国人の祖先だった」は間違いではないが誤解を招く不適切な表現と思われる。
更に、上記の(YAP+因子)縄文人渡来ルートの考察、『新撰姓氏録』に挙げられた中国・朝鮮半島出自氏族の考察、中国大陸・朝鮮半島動乱での渡来人の考察、更にもっと深く掘り下げた(YAP+因子)縄文人の活躍、例えば、南北アメリカ大陸のインディアンやインカ帝国を築いた古代縄文人の考察などが不足している。
お友達に、マスクや、小さなお菓子を郵便の定形外で梱包して、
送ろうと思っていたら、ゴールデンウイークで、
郵便局がおやすみに。
定形外で、ポストに入らないので、送るのがゴールデンウイーク明けになって閉まって、
ちょっとテンションが下がっていたら、
今日、郵便のお兄さんが、速達でーす。と
ピンポン。
小包あるんですが、お願いできませんか?切手とか全部貼っているんですが。
『切手貼ってあるならいいですよ』
ということで、
郵便のお兄さんが、受け取ってくれました。
なんてラッキー。
ちょっとプチ嬉しいことでした。
お友達に
クッキーとマスクを送りました。