端午の節句。
この端午の節句は、厄払いだった日。
本来の端午の節句は、旧暦が正しいので、
来月の6月です。
つまり、 じめじめした、雨期に日本はあたります。
むかしむかし、
冷蔵庫もない時代、
食べ物が腐りやすく食中毒も多く、
じめじめしていることから疫病が蔓延し、
特に女の子よりも胃腸の弱い、
小さな男の子が命を落とすことが
ありがちでした。
男の子は大事なあととり。
あってはならない一族を揺るがす事態です。
なので、
消毒作用のある、
しょうぶを、 お湯にいれて、無病息災を祈り、
「真のくす玉」という絹で出来た、飾り物の中に、 厄除けの薬だまを入れて飾りました。
この真のくす玉は、
本来、 久家や貴族達が、
京都の天皇家へ宮中挨拶に行く恒例の行事があり、
挨拶の記念品のようなものとして、
賜ってきたものでした。
そして、
一生、幸せでありますように
勝ち栗。
勝負で勝ちますように、
刀やかぶとを飾ります。
そして、
かしわの葉は、 次の葉が出来てから、
古い葉が落葉します。
世代交代がうまくいくことを
案じて柏の葉です。
まだまだ、節句のお話は尽きませんが、
今日はおとりよせした、
無農薬の国産粉と粗糖を使った柏餅があるので、
美味しいお茶でも点てて、頂こうと思います。
我が家は旧暦が基本
6月まで、端午の節句です。
そして、「真のくす玉」 。
天皇家へ数百年受け継がれている
「くす玉作り」の流派が 1つ。
現存しております。
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今日は、六甲道のベイシスさんへ。
陽と陰をならったので備忘録。
神戸のかぶらい寺の護摩炊き。
今日は和尚さんのお誕生日の前日。
とゆうこともあり
大勢おられました。
毎回護摩炊きは大迫力。( ・∇・)鬼気迫るものが。
(※非常に神聖な場所であるお写真は、敬意をもって許可のもと別日に撮影したものをいただき使わせていただいております)
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護摩炊きのあとは、
パンプキンさんで美味しいパンを買って。
六甲にある、浦上敬子さんの
パラフィンパックへ。
ベイシスさんです。
たっぷりデトックスできる場所。
和尚さんの説法。
いまある、心臓をどこで手に入れたか記憶にあるかたはおられるか。
あまたのひとは空気を毎日タダでいただいています。
心臓もあなたが寝ている時も休まずに動いてくれる。それをわすれてはいけませんよ。
あなたがここにいる生まれた理由。ご両親がおられないかたはいない。それをたどると30代目で10億人の両親の両親がいて、あなたがいますよ。
とゆうおはなしでした。わすれてはならないことがらなので、うっかりしている自分自身への自戒のためにここに備忘録。
日々の生活のなかで、「太陽ってあまりにもありがたいものだよな」とおもうことがたびたびある。
今日も和尚さんのおはなしのまえから、
お堂のまえに立っているときに、
背中にうける日差しが暖かくて、ポカポカするのを感じてあぁ、暖かいありがたいぞ。とおもいながらお経を聞いていた矢先の説法。
太陽は年がら年中タダ。
いつか太陽から請求書が届いたら、
急いで振り込みに行きたいくらい。
そして、太陽とおなじくらい、浦上敬子さんのおかげな護摩とパラフィンでした。
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Wikipediaより
※護摩(ごま、梵: homa, ホーマ)とは、
インド系宗教において行われる火を用いる儀式。
「供物」「供物をささげること」
「犠牲」「いけにえ」を意味する
サンスクリットのホーマ(homa)
を音訳して書き写した語である
護摩は本来は仏教の密教の修法であるので、
密教や修験道で行われるが、
神道の神社の一部でも護摩が実施される。
もともと神仏習合だった権現社や宮が、
明治維新の神仏分離(神仏判然令)によって
寺院を別の法人として改組した事例も少なくないが、現在でも神社において
神職や山伏による護摩祭が続いていることがある。
_φ( ̄ー ̄ )めも
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卵きりの話題をしたくてムズムズしているのですが、それより先に、端午の節句の話題とプチサロン会の2つ話題です。
今年の<端午の節句>自宅に長くいるぶん、せっかくなので飾って欲しいと思います。
端午の節句の所以は、そもそも、季節の変わり目=旧暦の5月というと今の6月頃です。梅雨時のジメジメしたころは、
カビが生えたり食べ物が腐ってしまいやすい時期なので疫病も蔓延しやすくなり、子供が病気にならないように、ショウブを山から取ってきて飾りました。端午の節句というのは、疫病をおはらいするためのまつりごと。
その中でも、今年は特に、飾って注目して欲しいのが『鍾馗さま』<しょうきさまと読みます>
関東地方で飾られることが多いので、実はあまり関西では五月人形としての知名度が高くないのですが、
鍾馗さまこそ、今年のコロナの時期に、ぴったりです。
なぜなら、疫病退散の象徴だから。
言い伝えは、昔中国の、楊貴妃の夫である皇帝が、疫病になり寝込んでいると、夢に鍾馗が現れて、夢の中の鬼を食べてしまった。
お前は誰だと聞くと、『鍾馗』と名乗り、自分は中国の官僚になる試験に落ちてしまい田舎へ帰ることができずに自害してしまったけれど、丁寧に葬ってもらったので、恩を返すために現れたと。
以来、疫病退散と頭の良かった鍾馗にあやかって勉強の神様として、端午の節句の時期に飾られています。
姿形はまるで地獄の閻魔大王みたいですが、今まさにコロナという疫病退散にうってつけのモチーフです。
ですので我が家は、今年一番に鍾馗さまを出して飾りました。これ、ぜひ覚えておいてください。そしてもしかしたら、古い五月人形のなかに、鍾馗様が一緒に保管されている方もおられると思います。出してあげてくださいねー。今こそ出番です。
サロン会のご報告は、直接ラインで送りますね。
今日も、ボクササイズの
プライベートレッスンしていただきました。
今日は、井岡弘樹さんの奥様の井岡エミさんに
ご指導いただきました。
心拍数を上げないで、息が上がるような辛いことは
しないし、終始会話ができる程度の、運動なのに、
おわると、
全身、こんなに?と驚くほどの汗が出ます。
全部着替えないといけないくらいです。
ボクササイズすごいです。
次回は4月にお願いしています。
お芝居をお友達と観て来ました。
お誘いして、ゆかさんと、まゆみんの3人っでお芝居。
今日はディスグーニーのお芝居です。
とーーーっても面白かった。
おまけに、劇場で、辻さんともお会いできたし、素敵な方をご紹介いただき、出会いも。
いいことづくめので感謝でした。
なさっておられるサロン寿美香さんが、
丁寧なことばでわたしのサロン会のことを書いてくださいました。
すみかさんは、明石で、
おさかなのさばき方、野菜の手料理を
優しく指導くださるレッスンをされておられます。
凛とした女性でものごとの本質を突いて指導くださいます。
野菜とさかなのおもてなしサロン
2ヶ月と半。楽しそうと思ってはいったら鬼軍曹ブードキャンプでした( ´ ▽ ` )。家事して家族のごはんしてダンス練習して仕事して夜個別練習して寝る。起きたら家事してごはんしてダンス練習して仕事して夜個別練習して寝る。終盤になるとひざが笑って股関節が崩壊。スケジュールに整体と接骨院がプラス。家事、ごはん、仕事、ダンスと「整体」。 週5ダンスの日も。 そしてThis day is finally。誘ってくれた ともゆさんありがとう?応援に会場にあしをはこんてくださったみんな大好き。very fun!!Bravo!
京都の素敵な方にお誘いいただいて、お能の鑑賞へゆきます。
ので、’ちょっとお勉強がてら。。お能についてとてもわかりやすく
そして丁寧に解説してあるページを見つけましたのでそのまま転記させていただいております。
※最も注目した文章がこちら。
謡や仕舞を教えていただくと、同時に、
『意識せずとも 自然に腹式呼吸が出来るようになる』んですって。
『腹式呼吸』=わたしにとって、今、一番の課題でした。
ダイエットにも、まず腹式呼吸と、先日も、腕利きの整体師さんに指導頂いたところです。
呼吸と、姿勢を正すだけで、ほとんどの人は痩せる=ベストの体型に戻るという意味だそうです。
本来の姿勢、骨盤の位置に戻すことで、下腹のたるみも解消されると言われました整体師さんに。
こちらの、ホームページにも、
『腹式呼吸を五分以上すると 心がすっきりし、脳内の神経物質セロトニンが増えると言われています。
また 身体の代謝の向上や姿勢の改善・猫背の予防といった効果も高められます。』
と、ありました。
お能、やっぱり素晴らしいです。
以下は全て、↓『能楽面白講座』ホームページよりそのまま転載させていただきました。
丸々コピー&ペーストお許しくださいませ。
まず能の舞台には幕(どん帳)がありません。
そのまま空間が時として宮殿になり、海にも、荒れ果てた野山にもなります。
次に作り物、いわゆる舞台装置のようなものですが、能の舞台の場合は竹と白い布で作ります。(我々の世界ではこれを「ぼうじ」と読んでいます。)これは上演の度に作り、終わればまた壊すのが原則です。一期一会の精神ですね。
しかしおそらく昔あちこち旅の一座で回っていたときに、竹と白い布という持ち運びに便利で、いつでもどこでも調達できるということがあったのでしょう。
この竹の作り物がある時は宮殿に、ある時は妖怪の住む塚に、牛車に、舟にとなります。
ですから「隅田川」で作り物がでてきたら、ははーんこれはお墓なんだと思うことで辺りはものさびしい岸辺、悲壮な感じが漂ってきますし、「舟弁慶」で舟のつくりものがでてくると、ここは西海の荒れ狂う海の上、囃子のリズムと狂言の「波よ波よ」という文句を聞いているだけで、砕け散る白い波飛沫まで見えてきます。
「邯鄲」(カンタン)に至っては全く同じ作り物が、前半は薬屋、後半では宮殿、そしてまた薬屋と変身しています。
見えないはずの波が見え、そこにはいないはずの人々のざわめきが聞こえてくる。
これって能のマジックだと思いませんか?
登場人物の装束(衣装)を見ただけで、いろいろなことがわかります。
例えば、同じ女性の姿でも赤色のは入った唐織姿(紅入り)であれば、若い女性、青や茶系統の唐織姿(紅無し)であれば中年の女性。腰巻き壺おり姿で笠をかぶっているか持っていれば、ただいま旅行中ということ。
尚かつ、手に笠をもって登場ということになれば、これは狂女(物思いに狂うということ)ということです。
又、同じ烏帽子でも、左に折れていれば源氏、右に折れていれば平氏の武士を表します。
「烏帽子折」という能のなかにも、牛若丸が元服の際、左折りの烏帽子を所望する場面がでてきます。
「このように能には見る人の能力に負う部分がずいぶん大きいのです。
シンプルだからこそ、その後ろにあるものが想像出来、世界がどんどん拡がっていきます。
能楽堂へいくと、大体の方が謡本を手にしておられます。謡本いわば台本です。
見ている側、お客様が、皆台本をもって見る劇なんてなかなかありませんよね。
シーンとしている中で、みなさんがページをめくる音まで聞こえてきそうなほどです。
我々もなんかチェックされているみたいで、間違えたりすると、見ている人全員にわかるなんてちょっとつらいところです。
謡本を見ておられるのはいいですが、どうかすると舞台を見るより、謡本に見入っている方の方が多く、お客様の頭がみなしたをむいて、何かちょっと見所があったりすると、一斉に頭が上がったりなんてシーンもよくあります。
せっかくお金を払って見ていただいているのですから、これはもったいない話です。
謡本ばかり見ていたのでは、能のマジックも出番がありません。
風姿花伝に「そもそも芸能とは諸人の心を和らげて、上下の感をなさん事、寿福増長の基、仮齢延年の方なるべし」という言葉があります。
我が家でも、以前ミュージカル劇を観に行きました。
半ば無理矢理連れていかれたのですが、観ているうちに自分の心が、如何に狭くぎゅっとタイトな状態になっているか気がついたのです。
堅くなっていた心が、ほろほろと解けていく気がしました。
絵でももちろん、見る人と通い合うものはあるのですが、演劇は見る人がいないと成立しません。
通い合うものがあって初めて成り立つのです。
能?「oh!NO!」などと言わずに、能楽堂へ足を運んで、あなたも見えないはずの波を見てください。